みさきへ

平成29年12月29日。私は京都から北海道の実家に帰省しており、その夜は長年の友人と久しぶりの再会の予定であった。しかし、その友人はその昼間に突如この世を去ってしまった。まるで私の帰りを待っていたかのようなタイミングであった。翌日からもう早速にお通夜・お葬式と続いた。私は告別式でのお手紙を頼まれていたが、到底書ききれる状態ではなかった。何か書こうとあれこれ思い出すと涙は止まらなくなるし、でも最後の役目は何としてでも果たしたいし…その葛藤の中でやっと書き出したものである。言葉は拙く、こんな限りで到底言い尽くせないことばかりであるが、私自身の忘れたくない記録としてここに残しておこうと思う。

 

 今こうしてみさきにお別れのお手紙を書くことになるなんて思いにもよりませんでした。少なくとも29日は、夜6時にななせも一緒に札幌駅で待ち合わせて、美味しいご飯を食べながら相変わらずの取り留めのない話、でも私たちにとっては大事な会話をしながら楽しく1日を終える予定でした。みさきも知っての通り、京都から帰省してくる度に、あなたにだけには欠かさず連絡をしていました。今回も慎一と一緒に3人でプチ同窓会をした夏以来で、私もとても楽しみにしていました。けれども当日の昼、突如あなたはその約束が果たせない状態となりました。おそらく前日の夜も遅くまで楽しく飲みに出ていたのでしょう、夜中のLINEの履歴が残っています。翌日の昼、私が病院に駆けつけた時には、みさきはもうこの世にはいませんでした。みさきだって久しぶりの再会に、お洒落した可愛らしい姿で私たちに会いたかったと思います。最後の最後まで無茶ばっかりして本当に馬鹿なんだから…!と言ってやりたい気持ちですが、今更もう届かないのですね。本当にこれが現実の出来事だという理解が追いつかず、それ以来私は長い苦しい夢を見続けているような気分です。でも本当は、みさき自身が一番辛く思っているということはよく分かっています。特にあなたは重い沈黙に耐えることや、人の悲しむ姿を見るのをとても嫌がる人です。みさきのことだから、こんな時にも集まってくれた人達に申し訳なく思い、気を遣っているでしょうね。関わった人全員に対してそれぞれに思いなり伝えたいことがあり、でももうそれが出来ないという遣る瀬ない気持ちに襲われているかもしれません。不幸なことに、みさきは皆様にお別れをしなければならないのです。短い人生にも関わらず、自分自身が関わった人達に大きな影響を与えてきたこと、たくさん愛されていたこと、誰にとっても必要とされてきたことをよくよく思い知ってください。

 
 みさきと初めて出会ったのは、小学5年生の時です。知らぬ間に10年の年月は超えていたのですね。当時、クラス替えのタイミングで初対面の相手に対し、お互い緊張感がありつつもすぐに打ち解けた記憶があります。今でこそ、ちびっ子キャラですが、その頃は私よりもみさきの方が背も高くて大人っぽく、お姉さんみたいな人だなという印象だったのは今でもよく覚えています。よく同じ女の子同士のグループに属していましたが、みさきと私はいつも中立のポジションであったので、コミュニティーが重複していたり、共通の友人も多かったですよね。二人きりで意図して関わろうとしなくとも、自然とその場に居合わす人でした。そういった兼ね合いが小・中・高まで続きました。よく思い返したら、同じクラスだったことってほとんどなかったのですね。 
 
 幼い頃は、激しい喧嘩や対立をしたこともありましたが、年を重ねるにつれ、お互い付き合いが上手くなったように思います。いつしか私にとって、渡辺美咲という存在が近くにあるのが当たり前で、数少ない女友達の中では最も信頼出来る人間でした。高校を卒業し、美咲が札幌の専門学校、私が京都にある大学へと進学し、物理的な距離ができた後も、定期的に会ってくれたこと嬉しく思っています。私が帰省する時に必ず連絡するのもそうですが、京都に一番遊びに来てくれたのも美咲でした。そうやって私たちは、遠すぎず、近すぎず、少しずつカタチは変わりながらもずっと良い関係を続けてきたように思います。この先、お互い結婚してそれぞれに新たな家庭ができても、子どもができてさらに孫ができておばあちゃんになっても、会った時は昨日まで話していたように、いつでもお互いにとって当たり前の存在に戻れる仲だと思っていましたよ。
 
 私は今、渡辺美咲を失った悲しみで涙が止まらないというよりかは、ただひたすらに悔しい気持ちでいっぱいです。あなたは、誰よりも繊細で異常なくらいの心配性でしたが、それだけ周りの人たちのことを一番に思えるとてつもなく優しい人でした。そして、一緒にいる人を必ず笑顔にさせ、どんな時もその場に明るい空気を生み出せる才能を持った人でした。みさきはその生涯を終えてしまうには、この世でやり残したことがあまりにも多すぎるのです。だから、私の口から「今までありがとう」という言葉を正直まだ言えそうにありません。現実に生きる身体を失ってしまっても、人々の記憶なり、カタチを変えて存在は生き続けていくべきであると思うのです。時が経ち、あなたが段々と「過去の人」になっていく時の流れが少し怖いです。私は一友人として渡辺美咲という人間を決して忘れはしませんし、その存在を心に持ち続け、生かし続け、共にしっかり生きていこうと思います。
 少し長くなりましたが、今の私の素直な気持ちはお伝えできたかとは思います。
 心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 
平成29年12月31日 大久保遥