かくれんぼ

 

わたしは小っちゃい頃、かくれんぼがとてつもなく得意だった。お友達みんな見つかって、見つかった子達のみんなでわたしを探しても、最後までわたしは見つからなかった。わたしはいつもおとなしく待っている。ほんの隙間から、真っ白い壁を見つめながら、じっとしている。わたしは見つけて欲しいのか、見つかりたくないのか、本当はよく分からない。でも最後の最後まで、自分からはでていかない。わたしはただひたすらに、オニに見つけてもらうのを待っている。わたしはきっと、見つからないために隠れているのじゃなくて、見つけてもらうために隠れている。でもわたしは本当に上手に隠れることができてしまう。誰もわたしを最初にはみつけることができない。

オトナになったわたしはあの頃のわたしよりも、もっとその腕を上げた。オニは、わたしが隠れているのかさえ気づかないことだってある。わたしは実に巧妙に、分かりづらく隠れることができるようになった。今でも、わたしを見つけて欲しいのか、隠しておきたいのかよく分からない。でも最後の最後まで、自分からはでていかない。わたしはただひたすらに、オニに見つけてもらうのを待っている。わたしはきっと、見つからないために隠れているのじゃなくて、見つけてもらうために隠れている。でもわたしは本当に上手に隠れることができてしまう。誰もわたしを最初にはみつけることができない。

わたしが長い間隠れているあいだに、オニもその腕を上げた。わたしはもう、オニが誰なのかを知らない。わたしには見えなくなってしまった。或いは、わたしはまだオニに出会ったことがないのかもしれない。わたしのオニはそこら中にたくさんいて、うじゃじゃさまよい歩いていることだけは、わたしには分かる。でも、ほとんどがオニでいることを辞めてしまう。或いは、降参を表明してわたしにもういい加減にでておいでって声をかけてくれる。でも最後の最後まで、自分からは出ていかない。わたしは今でもただひたすらに、オニに見つけてもらうのを待っている。本物のオニにね。

みさきへ

平成29年12月29日。私は京都から北海道の実家に帰省しており、その夜は長年の友人と久しぶりの再会の予定であった。しかし、その友人はその昼間に突如この世を去ってしまった。まるで私の帰りを待っていたかのようなタイミングであった。翌日からもう早速にお通夜・お葬式と続いた。私は告別式でのお手紙を頼まれていたが、到底書ききれる状態ではなかった。何か書こうとあれこれ思い出すと涙は止まらなくなるし、でも最後の役目は何としてでも果たしたいし…その葛藤の中でやっと書き出したものである。言葉は拙く、こんな限りで到底言い尽くせないことばかりであるが、私自身の忘れたくない記録としてここに残しておこうと思う。

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